先ほどから何も言葉を発しようとしない龍のことが気になり、私はそっと視線を動かした。
すると、悲しげに揺れる瞳とぶつかる。龍は切なげな表情で私を見つめていた。
「お嬢……」
その声は、いつになく沈んでいて、力がない。
私は改めて龍に向き直り、彼の手をぎゅっと握りしめた。
そして、動揺を隠し切れずにいるその瞳を、まっすぐに見据える。「龍、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい……。
でも、会うだけだから。ちゃんとお断りするから。 おじいちゃんの願いを、叶えてあげたいの……お願い」そう言って、握った手に力を込めた。
それに反応するように、龍の瞳が細かく揺れる。龍は、私の祖父への想いを理解してくれている。
きっと彼もまた、祖父の願いを叶えてあげたいという気持ちは同じなのだ。
けれど――
龍の瞳は激しく揺らめき続けている。 彼の心の中で、いくつもの想いがせめぎ合っているのがわかった。「龍……私はあなたが好き。愛してる。
だから大丈夫。私を信じて」ありったけの想いを込めて、私はもう一度、龍を見つめた。
「……流華、さん」
龍が、久しぶりに名を呼んでくれる。
心臓が大きく跳ね、全身がふわっとあたたかくなる。
彼に名前を呼ばれると、どうしてこんなに嬉しいんだろう。愛おしくて、胸がいっぱいになった。
しばし見つめ合ううちに、龍の硬かった表情がふっと緩んでいくのがわかった。
「……わかりました。俺は、流華さんを信じています。
だから、大丈夫」想いを隠すように、彼は静かに微笑んだ。
でも、隠しきれないもどかしさが、笑顔の奥ににじんでいる。「龍……ありがとうっ」
自分の気持ちを抑え、私の想いを尊重してくれた彼が愛おしくて。
体が勝手に動いていた。そっと踵を上げ、龍へと近づく。
「え!? 明日!?」「どういうことですか!?」 あまりにも突然のことに、私たちは同時に声を上げた。 さっきまでのしおらしさはどこへやら。 急に態度が変わった祖父に、驚きと戸惑いが押し寄せる。「ってことは……お見合いの話、もう決まってたってこと!?」 さっきの許しを請う姿は演技だったの? からかって、面白がってた? 私は目を吊り上げ、鼻息荒く祖父に詰め寄った。「おじいちゃん。どういうことかな? 説明してくれる?」 怒り心頭の私を前に、祖父はそっぽを向いて、肩をすくめた。「ほっほ……もう決まっていたんじゃ。 おまえたちなら、絶対にわしの言うことを聞き入れてくれると思ったから、先にOKしちゃった」 茶目っ気たっぷりに微笑む祖父。 その瞬間、私の中で、プチッと何かが切れた。「どういうことよっ!! 勝手に決めるなんて酷いじゃない! さっきの感動、返せーーー!!」 怒りに任せて祖父に飛びかかろうとする。 と、背後から龍が優しく私を羽交い締めにし、制止してきた。「お嬢、落ち着いてっ」「龍は腹が立たないの!? 私たちの意見も聞かず、勝手に決めてたんだよ?」 私が振り返ると、龍は一瞬だけ困った表情を浮かべ、苦笑いする。「それは……もちろん腹は立ちます。 でも、親父ならしそうだなって……。もう、慣れましたから」 どこか、あきらめようなその顔と声。 祖父の性格を誰よりもよく知る龍は、怒る気力すら失せたらしい。 でも、私は違う! 祖父の茶目っ気も、自由奔放さもわかってる。 そこがいいところだと思うときもある。 ……だけど、これは別! 人の人生を、弄ぶなんて——絶対に許せない!「おじいちゃんっ!」 威勢よく叫ぶと、祖父はおおげさにビクッと体を震わせ、怯えた振りをしてみせる。
先ほどから何も言葉を発しようとしない龍のことが気になり、私はそっと視線を動かした。 すると、悲しげに揺れる瞳とぶつかる。 龍は切なげな表情で私を見つめていた。「お嬢……」 その声は、いつになく沈んでいて、力がない。 私は改めて龍に向き直り、彼の手をぎゅっと握りしめた。 そして、動揺を隠し切れずにいるその瞳を、まっすぐに見据える。「龍、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい……。 でも、会うだけだから。ちゃんとお断りするから。 おじいちゃんの願いを、叶えてあげたいの……お願い」 そう言って、握った手に力を込めた。 それに反応するように、龍の瞳が細かく揺れる。 龍は、私の祖父への想いを理解してくれている。 きっと彼もまた、祖父の願いを叶えてあげたいという気持ちは同じなのだ。 けれど―― 龍の瞳は激しく揺らめき続けている。 彼の心の中で、いくつもの想いがせめぎ合っているのがわかった。「龍……私はあなたが好き。愛してる。 だから大丈夫。私を信じて」 ありったけの想いを込めて、私はもう一度、龍を見つめた。「……流華、さん」 龍が、久しぶりに名を呼んでくれる。 心臓が大きく跳ね、全身がふわっとあたたかくなる。 彼に名前を呼ばれると、どうしてこんなに嬉しいんだろう。 愛おしくて、胸がいっぱいになった。 しばし見つめ合ううちに、龍の硬かった表情がふっと緩んでいくのがわかった。「……わかりました。俺は、流華さんを信じています。 だから、大丈夫」 想いを隠すように、彼は静かに微笑んだ。 でも、隠しきれないもどかしさが、笑顔の奥ににじんでいる。「龍……ありがとうっ」 自分の気持ちを抑え、私の想いを尊重してくれた彼が愛おしくて。 体が勝手に動いていた。 そっと踵を上げ、龍へと近づく。
私がひとりで浮かれていると、祖父が困ったような顔で龍を見つめ、そしてふうっとため息をついた。「龍、すまんな……。 だが、その友人は、わしにとって大切な親友なんじゃ。無下にもできん。 ――流華よ、一度会うだけでも会ってみてはくれんか? もし嫌なら断ればいい。……頼む」 祖父は、懇願するような目を向け、軽く頭を下げてくる。「この通りじゃ」「おやめください!」「そうだよ、おじいちゃん、やめて!」 龍があわてて祖父の頭を上げようとする。 私も、思わず声を張り上げていた。 だけど、おじいちゃんがここまで頭を下げるなんて……。 胸が痛い。 おじいちゃんには、本当に感謝している。 両親が亡くなってからというもの、男手ひとつで私を育ててくれた。 誰よりも大切にしてくれて、たくさんの愛情をかけてくれた。 私はおじいちゃんに、頭が上がらない。 いつか、恩返しをしたいと思ってた。 それが、今なのかもしれない。 龍には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど……。 祖父への想いが溢れてきてしまう。 そして、つい言ってしまった。「おじいちゃん……わかった。一回会うだけだよ」「お嬢!」 龍の悲痛な叫びに、胸がズキンと跳ねる。 うう……ごめんね、龍。 でも、もう言ってしまった。 祖父を喜ばせたいという気持ちも、本当だった。 私は龍の顔を見ることができなくて、祖父に向かって神妙に頷いた。 その瞬間、祖父の表情が一変する。 さっきまで曇っていた顔に、ぱあっと明るい光が差し込む。「本当か?」「……うん」 隣で、龍が小さく息を呑むのがわかった。 ごめん……今回だけだから。 おじいちゃんのため、だから。 やっとの思いで龍の方へ視線を向けると、 そこには、放心したように前を
ヘンリーが戻ってきてからというもの、なんだかんだで私は皆と楽しい日々を送っていた。 しかし、その平穏を打ち破る出来事が起ころうとは――夢にも思っていなかった。 再会から一か月ほどが過ぎようとしていた、ある日のこと。 祖父がまた、とんでもないことを言い始めた。「流華よ、お見合いじゃ」「は?」 今日は休日。 ここ一か月、ドタバタな日々に少し疲れを感じていた私は、今日はのんびり過ごすと決め、居間でテレビを見ながらくつろいでいた。 ……今のは、空耳か?「おじいちゃん……今、なんて?」 一応確認するつもりで聞き返す。 だけど。「お、み、あ、い、じゃ」 祖父はそう言って、可愛らしくウインクしてみせた。「えーーーっ!! ど、どういうこと!?」 思わず叫んでいた。 突然すぎる衝撃に、頭がついていかない。 そんな話、今まで一度だって聞いたことがない!「お嬢! 何事ですか!?」 私の叫びを聞きつけ、龍がどこからともなく現れる。 驚いた表情で、私と祖父を交互に見つめていた。 祖父は、そんな私たちを見やりながら静かに言った。「まあ……座りなさい」 その声音は、妙に落ち着いていて、けれど不穏な空気をはらんでいた。 警戒しつつ、祖父の指し示す場所に腰を下ろす。 すぐ隣には龍も並んで座った。 彼もまた、顔をしかめ、複雑な表情をしている。 いったい、おじいちゃんは何を考えているの? なんだか……嫌な予感がする。 祖父は、私たちの向かいで胡坐をかいて座り、腕を組むとしばし目を閉じた。 そして、ふうっとひと息ついたあと、口を開く。「わしの古い友人がいてな。まあ、親友ってやつじゃ。 そいつの孫が、ちょうど流華と同じくらいの年でな。流華の話をしたら、えらく気に入ってしまって――
ちょっとしょんぼりしながら、なんとなくヘンリーのお弁当を覗く。 え? ヘンリーのお弁当も、龍が作ったものではないか! まさかの事実に、私は目を見開き、お弁当とヘンリーの顔を交互に見比べる。 あんなにいつも喧嘩してるのに……作ってあげたんだ。 っていうか、いつ渡してたの? 私の知らないうちに―― 二人の関係に、ちょっと衝撃を受けた。 ぽかんとしていると、今度は貴子が私のお弁当を覗き込んできた。「いいなあ、龍さんのお弁当〜! 私も一口っと!」 そう言うと、唐揚げをひょいっと摘み上げる。「あっ! 何すんのよ!」 私の怒りは空振り。 唐揚げは貴子の口の中へ消えた。「おいひぃ〜。これ、冷凍のじゃないよね? 龍さん、朝から作ってんの? 超手間暇かけてさあ……愛だねえ」 貴子は、幸せそうに目を細めながら、ぶつぶつとつぶやいている。 私はふくれっ面で彼女を睨んだ。 ……龍の唐揚げ、好物なのに!「はい、僕のあげるよ」 ヘンリーが、そっと自分のお弁当から唐揚げを取り出し、私のお弁当の中に入れてくれる。「え、いいよ! ヘンリーが食べなよ」 慌てて返そうとすると、ヘンリーはにっこりと最上級の微笑みを向けてきた。「ううん、いいんだ。 僕の幸せは、流華の喜ぶ顔を見ることだから。 それだけで、もうお腹いっぱいだよ」 その笑顔に、思わずキュンとした。 唐揚げとヘンリーの顔を交互に見つめ、ため息をつく。「……ヘンリー、ありがとう」 胸の奥がじんわりと熱くなる。 久しぶりに感じる、彼の優しさとぬくもりに、目頭が熱くなってしまう。 こういうのも、懐かしい……。 やっぱり、ヘンリーは優しいね。 私が微笑むと、ヘンリーも嬉しそうに頷いてくれる。「う……ここにも愛がっ!」 貴子が胸を
時は過ぎ、昼休み。 ここは、学校の屋上。 空を見上げると、灰色の雲と白い雲が入り混じりながら漂っている。 その背後には、青い空が広がっていて、太陽がときどき顔を覗かせていた。 雲の切れ間から差し込む光が、ふっと辺りを明るく照らす瞬間。 私は目を細めた。 雨が降っていなくてよかった。 朝の天気予報では怪しいと言っていたけれど、どうやら外れたようだ。 私と貴子は、いつも屋上でお昼ご飯を食べる。 だけど、雨だった場合は、休憩室に避難することにしている。 休憩室は、生徒の憩いの場。 自動販売機や机と椅子がいくつかあって、それなりに快適だ。 狭いけど、意外と混み合わないのがポイント。 本当は、あそこで食事を取るのは推奨されていないんだけど…… 教室より落ち着くし、先生たちも黙認してくれている。 でも今日は、屋上で大丈夫そう。 空に向かって、私はそっと微笑んだ。 そして今日は、私と貴子、そして……ヘンリーも一緒だった。 それは少し前の出来事。 私はお弁当を手に、貴子と教室を出ようとしていた。 そのとき、背後から間の抜けた可愛い声が聞こえてきた。「流華〜、待ってー。どこ行くの? 僕も行く!」 ――その声の主は、言うまでもなく。 振り返ると、ニコニコと無邪気に笑うヘンリーが私たちの後を追ってきていた。 なんだか、デジャブ…… 。 一年前、いつもこうやって、ヘンリーは私の後を懐いた子犬のように追いかけてきたものだ。 屋上に到着すると、ヘンリーはさっそくベンチへ駆け寄る。 そしてこちらに向かって、ブンブンと大きく手を振った。 本当に、子どもみたいなんだから。 あきれながらも、懐かしく……私は思わず目を細める。 やっぱり、こういうのも悪くない。 三人でベンチに腰